おはようございます、智道です。

 

前回の記事に書いた通り、

出雲出発 ⇒ 広島で仕事 ⇒ 岡山宿泊 ⇒ 吉備津彦神社参拝 ⇒ 吉備津神社参拝

とワタクシ的には贅沢な旅路でした。
時にはひとり旅もいいものです。

 

二度目の吉備津神社参拝となりますが、
素敵な神社は何度でもお詣りしたくなります。

吉備津神社も吉備津彦神社も、とても氣持ちの良い素敵な神社で
すっかり両神社のファンになりました。

ファンという言葉を、神社に適用していいのかどうかわかりませんが、
ボキャブラリー不足でいい言葉が見つかりません。

 

さて、吉備津神社と吉備津彦神社。
名前も似てるし、主祭神も同じ大吉備彦命。
そして、所在地もそう離れていないけどどう違うの?

ちょっとネット検索で調べてみたところ、
こんなことが書いてありました。

 

大化の改新を機に、地方の整地と見直しが行われましたが、
この見直しの結果、吉備国は備中・備前・備後の三つに分割されたようです。
吉備国の一の宮であった吉備津神社がそれぞれに分社されたようです。

備前には吉備津彦神社が造られました。

ということは、備中の吉備津神社が本社ということでしょうか。
吉備津神社のパンフレットには三備一宮と書かれてあります。

 

まとめると、

備前には吉備津彦神社(岡山市北区一宮1043)
備中には吉備津神社(岡山市北区吉備津931)
備後には吉備津神社(福山市新市町宮内400)

となっています。(簡単すぎるまとめ方(^^))

 

備後の吉備津神社にも、いつかお参りしたいなぁと思います。

 

まったくの主観的な感覚ですが、
吉備津神社は吉備津彦より大人っぽい雰囲気に感じます。
二十歳前の女の子と三十代のレディ的な違い・・・

あっ、どちらも主祭神は男神でした(^^)

 

吉備津神社の写真を貼っておきますので、
その雰囲気を視覚的に感じていただければと思います。

国宝である、比翼入母屋造と呼ばれる建築様式の本殿・拝殿は、
とても美しかったです。

また、全長360mにおよぶ回廊も歩きごたえがありました。

 


【吉備津神社御本殿・拝殿】

 


【吉備津神社回廊】

 


【吉備津神社御朱印】

 

 

 

最後に、桃太郎伝説の原型と言われる吉備津彦命の温羅退治の物語を書いておきます。
JR吉備津駅近くにあった観光案内板を参考にさせていただきました。

 

その昔、吉備の国に温羅(うら)という異国の王子が住みつき、悪行の限りを尽くして人々に恐れられていましたが、それを退治しに来たのが吉備津彦命です。

両者の闘いが始まり、温羅は鬼ノ城に籠り、吉備津彦命は吉備の中山に陣を張りました。
吉備津彦命の放った矢は、温羅の投げた岩とぶつかっては落ちぶつかっては落ちで、なかなか勝負がつきません。
そこで吉備津彦命は一度に二本の矢を射て、一本をみごと温羅に目に命中させました。
温羅は川を血潮で真っ赤に染めながら鯉に化けて逃げますが、吉備津彦命は鵜になってこれを追いかけ、退治しました。

この吉備津彦彦命の温羅退治の伝説をもとに、桃太郎の鬼退治の昔話ができたと言われています。

 

 

吉備津神社は、1時間半位かけてお詣りしました。
次はいつお詣りできるのかわからないので、もっとゆっくりとしたかったけど、
帰りのバスの時間があるので鳥居前で最後のご挨拶をして帰路につきました。

この日は吉備津神社と吉備津彦神社参拝だけでは終わりません。
平成29年11月27日は出雲大社の神迎神事の日で
全国の神々が出雲に集われる日なのです。

なので、出雲に帰ってから出雲大社に直行しました。
当然神事は終わっていたのですが、
境内外から只今戻りましたとご挨拶だけして帰宅しました。

 


【平成29年神迎神事終了直後の出雲大社拝殿】

 

この時、出雲に吉備津彦命もおいでになっていたのでしょうか。

「よっ、今日は岡山までごくろうさん。」

なんて言ってくださっていたのかもしれません(^^)

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今日も素敵な一日をお過ごしください。

 

すべての存在が幸福でありますように(祈)